英語は話せるのに、パスポートすら持っていない僕が「弱さを受け入れること」にたどり着くまで

ぎんじろう
感謝してます!ギニーWebのぎんじろう(現在31歳)です。

矛盾しているのは分かっている。

 

英語は話せる。中学時代、アメリカ人のALTと空手をやることになって英語にハマった経緯があるし、英語のスピーチコンテストで結果を残したこともある。それなのに、僕は海外に行ったことがない。パスポートすら、今も持っていない。

 

英語が話せるのに海外未経験。この事実を誰かに話すと、大抵驚かれる。正直、これは僕の中で長年のコンプレックスだった。

なぜ、この矛盾が生まれたのか

理由は単純で、単に余裕がなかったからだ。学生時代から今に至るまで、自分の生活を自分の力だけで組み立て続けてきた中で、海外に行くという選択肢は、優先順位としてずっと後回しになり続けてきた。

父の道場が閉まり、拠り所を失った

大学は立命館アジア太平洋大学(APU)というグローバル色の強い環境で、世界中から集まった学生に囲まれて過ごした。もともとアジアユース人材育成プログラムの縁があってAPUに進学したのだけれど、入学してからしばらくして、大きな転機が訪れた。父が道場を閉めたのだ。

 

それまで自分の物理的にも精神的にも拠り所だったものが、一気になくなった。当時、お世話になっていたアジアユース人材育成プログラムのチューターたちもAPUを卒業していなくなり、自分を導いてくれるメンターもいない状態で、「これから何を目的に生きていけばいいのか」を完全に見失ってしまった。アイデンティティ・クライシスというやつだと思う。

「お子様のルール」が終わった大学時代

10代の頃は、勉強や武道さえできれば、それだけでモテる世界で自信を持てていた。実際、中学・高校の間だけで5人と交際したし、それ以外にも複数の告白を受けた。とはいえ、当時の交際はキスすらしていない、デートとハグくらいのうぶな関係だった。でも、そのお子様のルールは、大学に入った瞬間に終わる。大学は、学校と社会が混ざり合ったような場所で、評価基準が学力や運動能力から、資金力や社会的なステータスへと切り替わっていく。だから僕は、大学の前半、正直かなりこじれていた。

 

周りを見渡すと、帰国子女や海外留学経験が豊富な学生、資金力のある学生ばかりだった。しかも彼らの多くは定型発達で、コミュニケーション能力も高い。当時はまだ自分がASDだと気づいてすらいなかったけれど、それでも漠然としたハンディキャップは感じていた。語学力や国際経験、資金力という土俵で、彼らに勝てる気は正直しなかった。田舎育ちで選択肢も狭かった自分にとって、その差は圧倒的に見えた。

休学中、内面に自己投資した21歳

正直に言うと、休学する前の僕は、恋愛にもまるで自信が持てずにいた。この資本主義社会の恋愛市場では、高身長・高学歴・高収入がものを言う場面が多い。大学の周りには、自分より高身長で、学力も偏差値もコミュ力も高くて、実家が裕福な学生がたくさんいて、その差に強い劣等感を感じていた。彼女もできず、当時は正直、人生が終わっているような感覚さえあった。

 

それを救ってくれたのが、休学中に打ち込んだ筋トレ・ビジネススキル・マインドセット・自己学習、そしてサプリメント・ハーブを使った栄養学・健康学だった。外側の条件で勝負できないなら、内側から磨けばいい。そう腹をくくって取り組んだ結果、休学期間中に恋愛でも自信を持てるようになり、実際に彼女もできた。

 

収入は今も決して高いわけではない。それでも、肉体・人柄・素の魅力で勝負できるようになった今の自分を、誇らしく思っている。実際、フリーターだった時期にも彼女はできたし、転職活動中で無職だった時期にも彼女ができた。つまり、僕を救ってくれたのはお金ではなく、努力・肉体美・人柄・徳の積み重ねだったのだと思う。

ASDの傾向と、理解されなかった悲しみ

26歳、大阪の広告代理店で激務をこなしていた時期、僕は不眠症になった。心療内科にかかったとき、医者から「ASDの傾向がありますね」と言われた。完全な診断が下りたわけではなく、いわゆるグレーゾーンという位置づけだったけれど、それでも当時の人間関係やコミュニケーションの難しさの正体が、少し腑に落ちた瞬間だった。

 

ただ、当時付き合っていた彼女にそのことを伝えても、「気のせいでしょ」と、まともに理解してもらえなかった。それは彼女だけでなく、会社の人たちも同じだった。「全然そう見えないよ、気のせいだと思うよ」と言われることが多かった。でも、当人からすれば、周りには見えなくても実際にもがき苦しんでいるわけで、正直それはそれで困る話だった(笑)。その悲しさは、正直あの頃の記憶の中に残っている。

眠れない夜、仕方なく映画を見ていた時期に出会ったのが「ファイトクラブ」だった。不眠症に悩む主人公に、当時の自分を重ねて強く心を動かされた。ブラッド・ピット演じるタイラー・ダーデンのかっこよさと、あの肉体美に憧れて、そこから筋トレへの熱が再燃した。タイラー・ダーデンはボロボロの廃墟に住み、金も地位も持たないのに、圧倒的な魅力とカリスマ性で人を惹きつける男だった。お金や物で勝負しないからこそ強い。10代の頃、勉強と武道で自信を持ち、大学で一度その自信が崩れ、休学して内面に自己投資し、弱みを直視して受け入れ、そして一周回って自信を取り戻した今の自分は、まさにあの生き方を地で行っているのかもしれない。

体も、同じように作り直してきた

事業と並行して、僕はもう一つの軸として、肉体改造・体質改善にも本気で向き合ってきた。虚弱体質だった過去から、分子栄養学や身体づくりの知識を積み上げ、自分の体を実験台にしながら作り替えてきた。

 

事業も、体も、頼れる後ろ盾があったわけではない。すべて、自分自身に直接リソースを投下し続けることで、少しずつ形にしてきたものだ。この積み重ねが、今の「パーソナルトレーナー×Webマーケター」という働き方につながっている。詳しい紆余曲折は僕のキャリアの軌跡にまとめている。

弱さを直視することが、結局一番の近道だった

こうして振り返ってみると、僕の人生は「型やレールに乗れなかったこと」の連続だった。不登校を経験した時期もあったし、海外という多くの人が当たり前に経験する扉も、開けないまま今に至っている。

それでも今は満足している

正直に言うと、海外の話題になったときだけ、ひとりだけ恋愛話についていけない童貞のような気持ちになることはある。全身から血の気が引いていくような感覚があり、体が少し冷たくなって、胸の奥にずしんとした重さが乗る。手足にも力が入らなくなる、あの感じだ。それでも、今の自分には満足している。

 

考えてみれば、良かった側面もある。むやみに海外旅行や海外留学に出て、知らないうちに凶方位の影響を受けて運気を落とす、ということがなかったのは、今振り返るとむしろ良かったと思っている。今は吉方位の知識も身につけたので、もし今後海外に行くとしても、ちゃんと吉方位を選んで行くことができる。

パスポートのお金で、本とサプリを買う男

海外旅行や留学のような外側への投資はしてこなかった代わりに、スキル・才能・体・脳・心・徳・運という、内面への投資はやり続けてきた。

 

正直に言うと、パスポートを発行するお金があるなら、僕は本を買いたいタイプだ。大学時代も、夜中まで図書館にこもって気になる本を片っ端から読み漁っていたし、本は買いまくっていたし、ビジネスや投資の情報商材・教材にもかなりの額を投じてきた。海外への航空券やホテル代に消えるはずだったお金は、そうやって全部、知識と実践のための自己投資に変わっていった。今の自分があるのは、間違いなくこの積み重ねのおかげだと思っている。

 

本だけじゃない。サプリメントやハーブ、プロテインにも、同じくらいお金をかけてきた。パスポートを発行するお金があるなら、僕はサプリとハーブを買って、自分の体で人体実験しながら研究したい。海外を旅する代わりに、自分の体の中を旅してきたようなものだ。もはやマッドサイエンティストだと自覚している。

その結果、まるでジョジョのDIOが時を止めているかのように、若々しい見た目と心、高い筋力や体力のままでいられている。むしろ以前よりも美形に進化できている実感すらある。正直に言うと、DIOのようなカリスマ性を持った、不老不死の男を目指している部分もある。

恋愛でも、仕事でも、再現性のある力

例えば20代の恋愛の面では、ありがたいことに良いご縁をいただいてきた。ただ実際の人数で言えば、そこまで多いわけではない。片手で数えられる程度で、一人ひとりと真剣に、長く付き合うタイプだからこそ、その分人数は絞られている。自分を魅力的に伝えるプロフィール文を、コピーライティングのスキルを使って書いておくと、恋活アプリなどでも相手の方から好意を持って声をかけてもらえることが多い。仕事の面でも同じで、就活のときも広告代理店からスカウトされたし、同じスキルを使ってジムのHPを改善し、お客さんの方から興味を持って来てもらえる状態を作れている。海外経験という一つの土俵では勝負できなかったかもしれないが、言葉で相手の関心を引き寄せるという別の土俵で、僕は再現性のある力を身につけてきた。

 

紆余曲折あったけれど、今のこの道で良かったと思っている。人生に迷走して、悩んで、恥ずかしくて昔の友人に自信を持って会えない時期もあった。でも今は、胸を張って会える。そんな自分を誇らしく思う。

 

あり余るお金やパスポートは持っていないけれど、あり余る筋肉とダンベルは持っている。世界は回っていないけれど、筋トレの種目名で世界は旅している。ブルガリアンスクワット、フレンチプレス、キューバンプレス、オーストラリアンプルアップ、ノルディックカール、ロシアンツイスト。気づけば、地図なしで世界中を回っていたらしい。

これからの使命

フリーター時代は、正直ひもじい思いをして苦労もした。それでも今は、未来が明るいと素直に思える。この今の仕事や事業がどんどん育っていって、世の中に健康な人が増えていく——そう考えると、それだけでやりがいを感じるし、嬉しい気持ちになる。

 

自信が持てずに悩んでいる人たちにとっての、メンターであり旗のような存在になりたい。それが、今の僕が思う使命だ。パーソナルトレーナーとして、目の前の一人ひとりが自信を取り戻す手助けをする。そしてマーケターとして、全国のジムに通う人を増やし、体を鍛えて美しくなり、内側から自信を持てる人をもっと増やしていく。休学中の自分が、外側の条件ではなく内側を磨くことで救われたように、同じように救われる人を、これからも増やしていきたい。

二人のメンター

この過程で、斎藤一人さんと仙人さんという二人のメンターの影響は、僕の中でかなり大きい。斎藤一人さんは、銀座まるかんの創業者として知られる実業家で、長年にわたり日本の高額納税者としても知られてきた人物だ。商売や人生の生き方や運や心や徳やスピリチュアルへの興味は、この斎藤一人さんの影響が大きい。仙人さんは、僕がコピーライティングを学ぶ中で師事してきたマーケティングの理論家で、マーケティング・コピーライティング・マインドセット・心理学・脳科学・筋トレ・サプリメント・ハーブ・健康への興味は、仙人さんの影響が大きい。直接指導を受けたわけではなくても、彼らの考え方は、迷走していた時期の僕にとって、進むべき方向を示してくれる灯りのような存在だった。

 

以前は、こうした自分の弱さやコンプレックスを、隠したいものだと思っていた。でも今は違う考え方をしている。虚弱体質で不登校・ニート経験者でASDという自分の特性も、貯筋多いくせに貯金は少ないし海外未経験というコンプレックスも、直視して構造化してしまえば、そこから見えてくる自分だけの強み——深い洞察力や分析力——につながっていく。弱さを隠すことにエネルギーを使うより、弱さを直視して、それを補う仕組みを自分で作る方が、結果的にずっと自由になれる。

 

表面的な取り繕いよりも、泥臭い実戦と結果に裏付けられた内面の軸の方が、結局は人に安心感を与えるものだと思っている。弱さを受け入れ、それでも前に進み続けること。それこそが、本当の強さなのだと、今は素直にそう思える。

 

ぎんじろう
ではでは、最後までお読みいただき感謝しています。 あなたに全ての良きことが雪崩のごとく起きます!